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- 若松町(近世~近代)とは
「若松町(近世~近代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- 若松町(近世~近代)
江戸期~現在の町名六軒町通一条上ルの町寛永14年洛中絵図では,まだ町並みが形成されておらず,野畠と記されているその後,寛文12年洛中洛外大図に現町名が記される江...
[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7380942]
関連項目:
赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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若松町(近世~近代) 江戸期~現在の町名先斗【ぽんと】町通三条下ル2丁目の町付近一帯は,寛文10年の鴨川新堤の築造以降に町家が形成されたと考えられ,2年後の寛文12年洛中洛外大図には,すでに「若松丁」と見えている以降,町名の変更・異称はない当町の面する先斗町通は,別に新川原町通とも呼ばれ,江戸期には遊廓が設けられていた当町と橋下町・梅之木町・松木町・錦屋町・柏屋町の付近がその遊廓にあたる「府下遊廓由緒」によれば,延宝2年に5軒の遊廓が当町に建てられたことに始まると記されている江戸期は下中筋組の新河原町六町組に属し,明治2年の町組改正から下京【しもぎよう】6番組,同5年第6区と改称,同25年第6学区に編成明治12年下京区若松町,同22年京都市下京区若松町,昭和4年中京【なかぎよう】区若松町となり現在に至る |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」